自律神経失調中ー更年期障害サバイバー

更年期障害という名の恐るべき自律神経失調状態。今までいろいろ努力をしてきたことを吹き飛ばされても、また自分の身体を実験台に何とか人間らしい生活を取り戻していきたいところです。

学校で教えてくれないこと

幼少期から体力がなかったのだろうと思うけれど、

そもそも体力を使うようなレジャーや旅行などに縁がなかった。

父は単身赴任で家におらず、3姉妹を連れて母ひとりで

出掛けることすら困難だっただろうし、母自身も身体を動かすことが

楽しいというタイプではなかったと思う。私たち姉妹も、思い出す限りでは

走り回って遊ぶようなタイプではなかった。

 

とは言え、私の場合は、挽回できるチャンスを全て逃してきた気がする。

ポイントは中学の部活動だったと思う。

 

中学の運動系の部活動と言えば、ひたすら走ったり声を出したり、とにかく動く。

私は吹奏楽部に入って、音楽室のあった校舎の最上階から下界を見下ろして、

「よくもまあ、あんなにしんどそうなことをして…」

と思いながらリードの手入れをしていた。たまに廊下で腹筋させられたけど、

みんなものすごく適当だったから、腹筋なんて鍛えられることもなかった。

 

でも今ならわかる。

中学生の年齢で運動部の部活動レベルの体力作りをしていれば、その後多少の

運動不足になっても基礎体力がサポートしてくれるということ。

基礎体力とは、持久力や筋力、心肺機能を発達させること。

私は、この土台を全く作ることなく年齢だけは大人になってしまっていた。

 

おそらく30代までは、身体の若さだけで何とか生活だけはしていたのだと思う。

そして30代以降、仕事で常になけなしの体力を使い果たすことになって、どんどん

立ち行かなくなってきた。体力の自転車操業もできなくなっていったらしい。

 

基礎体力がついていないことに気付かず、ウォーキングをして倒れる、

ダンスエクササイズをして倒れる、運動しようと思っても何も続けられないことに

ショックを受けた。

そして体組成計に乗って、やっと自分が老婆状態ということを知る。

 

まるでアリとキリギリスみたいな話だと思う。

中学生のとき、必死に汗をかいて延々と走らされていた人たちは、30代、40代になって

多少太ったとしても運動すればすぐに代謝が上がる身体なのだろうし、ずっと何かしら

運動を続けてきた人は、更に基礎体力のある元気な大人なのだろうと思う。

 

朝起きて、一日何もしないでいて、また夜眠るとしても体力が要る。

自分を食べさせたり、清潔に保つこと、それだけでも体力が要る。

買い物に出たり、人と話すことも体力が要る。

会社まで行って仕事を8時間して帰ってくることは更に体力が要る。

 

大人になって社会に出て生きていくために必要な体力は、中学生の頃に

身につけられた基礎体力の範囲で十分なのだろうと思う。

 

そこから更に体力をつけていくと、年齢よりも若々しい身体になって、

怪我をしにくい、病気になりにくい、怪我や病気からの回復が早い、

食べ物がおいしく、眠りも深い、健康的な生活ができるのだと思う。

 

とてもシンプルなことだけど、自分で選択しない人には全くわからないこと。

「学校に通っている間に基礎体力をつけること」

これが社会に出て仕事をして自分を食べさせていくために必ず必要だと

具体的に教えてほしかった。

 

どんなに一生懸命説かれても、当時は反抗したと思う。

だから反抗できないくらい選択肢をなくしてくれてもよかったとも思う。

大人にしか子供に指標を与えられないのだから。

 

ひたすら他人のせいにするつもりはないけど、わがままでぐうたらに育った子供にも

社会に出て生きていくための体力をつけるための時間が必須であればよかったと思う。

 

心がしんどいなら学校に行かなくてもいいから、運動とかバイトしなよ、と思う。

受験も就活も全部体力勝負、通学も学校生活も、通勤も社会人生活も全て体力がないと

辛くなってしまうだけ。

 

付け焼刃の体力作りも間に合わず、日常生活も困難になってしまった私のような人は

そんなに多くはないと思うけど、とにかく10代での基礎体力作りが重要だということを

噛み締めつつ、地道に初めての基礎体力作りをしていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストレスと虚弱体質の少女

自分に起こっている様々な不調の原因を調べていて共通していたことは、

「ストレス」だった。

 

ストレスに弱い人はこんな症状が出ますっていう症例を見ていて、

ふと思い当たることがあった。

「何もないのに喉がつかえた感じがする」→これって小3くらいにあった!

耳鼻科へ連れて行ってもらったものの、病気はないということで帰された記憶がある。

今となっては何をストレスに思っていたかも思い出せないけど、小3の少女が必死に

ストレスを訴えていたとは、我ながらちょっとかわいそうじゃないか…

 

中1の時には、なぜか転地学習に行きたくなくて胃が痛くなった。

中3の時には、なぜか修学旅行の準備を一手に請け負ってがんばりすぎた結果、

燃え尽き症候群のようになって修学旅行に行けなかった。

身体からエネルギーが抜けて、食事もあまりできなくなって、バリウムを飲まされた。

「胃炎」ということで、家でひたすら小説を読んで過ごした。

 

中学校では、学区の端に住んでいたので、片道2キロ、往復4キロをどんな日も

歩かなければいけなかった。

体調が悪いとき、生理中、真夏、よく歩けなくなって途中で座ってしまっていた。

朝だと遅刻になったし、帰りだと道が真っ暗になって怖かった。

 

中学生で、歩けなくて遅刻をしたり、修学旅行に行けなかったりする生徒って、

私が先生や親なら心配するところだけど、なぜか誰にも心配されたことはなく、

自分でそれがなぜか、とか考えることもなかった。

 

その後、高校生になってからも不調と体力のなさは続く。

通学は自転車で30分が辛くて、電車を使う。駅から学校まで徒歩20分も辛くて

友達とタクシーに乗ったりする。帰りは誰かに自転車に乗せてもらう。

 

ラグビー部のマネージャーになったものの、監督の意思でマネージャーも

部員と一緒に走らされる。私だけ走れない。なぜ?!

 

そして部活を途中でやめたことからまた燃え尽き症候群のようになる。

今度はかなり重症で、しばらく学校に行かず、ふらっと行っては保健室直行。

単位を計算して何となく復帰しても、お弁当のお米数粒しか喉を通らない。

放課後、友達と予備校に行くついでに遊んでいてもずっと腹痛が止まらない。

友達とたくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん悩んで、とても楽しい

高校生活だった半面、何かしらずっと心のもやもやと体調不良がつきまとう。

 

小児科の先生に「この子は神経質って顔に書いてある」と母は言われたらしい。

自覚できるようになるずっと前から、何かいつも神経質で、薬を飲むほどではないけど

どこか調子が悪い状態で生きてきたのだろうと思う。

その結果が今につながっているという実感はあるし、どこかまだ子供の頃に

手を打ちたかった、打ってほしかった。

そう認識できるまでとても長い時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生活改善before/after

 めまいが頻発していた当時、運動なし、炭水化物と糖分は圧倒的に過多、

仕事は不規則&ストレスフル、休みがあれば1日中疲れて動けないという悪循環に

陥っていた。(悪循環ということには後で気付いた)

 

お昼前に起きて原付で出勤し、ガッツリ土方弁当食べて、おやつに菓子パン買っても

食べられないまま帰宅して、深夜にかけて菓子パン→麺類→お米と食事をして、

あさヨンが始まる頃に布団に潜り込むという生活で、体重も人生最大に達していた。

スーツが着れなくなって、体型をごまかす服を買うことも普通になっていた。

 

そんな状態から抜け出すために必要だったのは、自分と向き合うことだった。

子供の頃からの習慣のまま30代後半を迎えていた私は、もはや全てを変えて

いかなければならないことだけは明確だった。

 

■生活改善before/after 運動編

【before】

私は運動習慣が全くなく、筋肉を意識したこともなく、浮腫むという状態も

わからなかった。歩くのは嫌い、階段はできるだけ避ける、移動は車がベスト、

電車が来ても走らない、汗をかくのは夏の暑いときくらいでしょ、それが基本。

【after】

とりあえず、仕事を変えた。

朝起きて、夜眠る。定時っていう概念を初めて知った。

通勤という運動と、寝る前の軽い筋トレとヨガ、起きた時のストレッチ&ラジオ体操を

始めた。

 

■生活改善before/after 食事編

【before】

食事は、固い肉や肉の脂身は嫌い、魚は焼いたものだけ、納豆は世界からなくなれ、

豆腐や卵は好き、夜の12時あたりから炭水化物を中心に食べまくる。

基本的には炭水化物8割、その他2割くらい。

スイーツは1日に1度は何か食べたい。飲み物は基本甘い紅茶、水は飲まない。

【after】

1日3食って高校生以来。

まずはバランス改善から。タンパク質を意識すること、食物繊維も忘れないこと、

栄養が吸収されやすい組み合わせを考えること、白米に雑穀を入れること。

朝は卵を食べる、お昼はお弁当を持っていく、夜は炭水化物なし。

スイーツは休日のお楽しみ。

家では水、仕事の日の午前中は日本茶、午後疲れてきたら甘い紅茶もOK。

 

何といっても仕事内容と共に生活の時間帯が変わったことは大きかった。

規則正しい生活は、心に余裕を生み、食事や運動にかける時間を作ることが

難しいことではなくなって、見た目も体重も落ち着いてきた。

 

こんなに健康的になったのだもの、流行りの体組成計を買って自分の変化をチェック

していくことにした。説明書に大体の数値の目安が載っている。さてさて私は??

 

体脂肪率高い、筋肉量少ない、基礎代謝…90歳以上!!!

老婆?!まだ40歳にもなってませんけど?!

 

基礎代謝をせめて還暦くらいまでには戻したい…

今これなら基礎代謝が還暦くらいの頃って私は小学生くらい?!

とにかく基礎代謝を上げるには、筋肉を増やすことが重要らしい。

 

私の新しい生活は、元々健康的な人ならそれで充分かもしれないけど、

無筋肉質の私にはどうやら甘い、甘すぎるようだった。

軽い筋トレ、なんて言ってられない。

ちょっとやせたからって健康になったわけじゃない。

やっと自分の身体を知るためのスタート地点に立てただけのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふわふわめまいーMy発症遍歴

世界がグワーンと回ることを「めまい」ということも知らなかったけど、

「めまい」に種類があることも知らなかった。

 

初めて「良性発作性頭位めまい症」になった後、寝返りしたり下を向いても

グワーンとならなくなっても、じっと座ってても揺れてる感じ、

身体が浮いたみたいにちゃんと歩けてない感じ、何かしらの違和感がずっとあって、

何をしていても楽しくない、気分の悪い状態が続いていた。

 

この感じは、その後「良性発作性頭位めまい症」になるたびに終わり頃からあって、

それ以外のときでも感じることもあった。

自分ではすっかり「良性発作性頭位めまい症」が来ていると思って身構えても、

グワーンと回ることはなく、何となく回ってる感だけで終わることもあった。

 

私の何となくめまい感は

(強いめまいを感じたから何となくと思うのかもしれないけど)

どうも、めまいの種類の中の「浮動性めまい」というらしい。

良性発作性頭位めまい症は「回転性めまい」で内耳が原因。

ふわふわめまい感は「浮動性めまい」で、私の場合は脳に問題がないので

首の凝りやいろいろな原因で自律神経が乱れて起こるもの、らしい。

 

首の凝り→はい、自覚しています。

気候や温度の変化によるストレス→はい、影響されてます。
対人関係によるストレス→はい、いろいろあります。
更年期障害→はい、該当年齢の前からです。

 

私が良性発作性頭位めまい症の後に必ずふわふわめまいを感じるのは、

恐らく強いめまいの恐怖で、首や肩に力が入ってしまうことや、

動くのが辛いために全身も凝り固まるため

(ストレッチやヨガも姿勢を限定されるし、する気力も奪われる)

ではないかと自分では推察している。

 

その他で起こるときは、やっぱりPCの作業が立て込んでいたり、

低気圧やエアコンの冷えや夏の暑さに疲れていたり、

クレーム電話を受け続けたり、何かしらストレスに結びつくことがあった。

また、貧血かと思っていたけど、生理中にも起こりやすいのを自覚するようになった。

 

そして最近気付いた。

良性発作性頭位めまい症が出る!という前兆があること。

 

それは、急な下痢、何度行っても恐ろしい量が出る尿、水も飲みこめない程の吐き気、

冷や汗と脂汗、異常な倦怠感、これがフルセットか、いくつか選ばれて出てくる。

 

この嵐のような前兆が治まってくると、グワーンと回り出す。

この前兆って、自律神経の計器が狂いだした感じ。

身体が必死に全ての水分を出そうとしているような感じ。

 

東洋医学では、私が経験しためまいを「水滞」の状態になっていると考えるらしい。

身体に不要な水が滞っているから自律神経も乱れ、めまいが起こる。

グワーンと回ったり、ふわふわしたり、耳も首凝りもストレスも全て、

私は体質や身体の状態が「めまいになりやすい」タイプだった。

 

やばい、身体の水分出しまくらないと耳がおかしくなる!と察知して、

必死に各所から水分を出そうとする身体の反応を知って、

私の脳がストレスや疲れを溜めすぎてしまったのに、

健気にせっせと水分を出して教えてくれる身体をちょっと愛おしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

良性発作性頭位めまい症ーMy発症遍歴

初めて「良性発作性頭位めまい症」と思われる症状が出たのは

25歳か26歳の頃だった。

 

友達と電話をしていて、下を向いていて、頭をパッと上げたときに

一瞬グワーンと世界が回って冷や汗が出た。

びっくりして友達に「何か私変なんだけど!」と言った記憶がある。

 

良性発作性頭位めまい症というのは、耳の中の耳石が所定の場所から

動いてしまうことから三半規管が反応してめまいを起こすものらしい。

 

最初に発症したときは、それが「めまい」ということもわからず、

気軽に病院へ行ける環境ではなかったのでひたすら家にこもることしかできなかった。

そのために結局3カ月くらいずっと不調が続いてしまった。

 

次のめまい体験は、その数年後に実家に帰っていたとき。

やはり何かで下を向いていてめまいに気付いた。

すぐに耳鼻科へ連れて行ってもらって、初めていろいろな検査をしてもらった。

・片足で立つ

・目をつぶってその場で足踏み

・仰向けに寝て眼振が起こるか

・聴力検査

などなど、その結果「良性発作性頭位めまい症」という病名を初めて聞き、

以前に体験したものはこれだったのか、とようやく理解できた。

この時は薬をもらってしばらく飲んで、2度ほど通ううちに治っていた。

 

その後しばらく影を潜めていたものの、36歳の8月に久しぶりに来たと思ったら、

そこから1か月のうちに治っては繰り返すを3度。

仕事に行っては休み、復帰しては休み、さすがにクレームも出始め、

耳鼻科の先生もお手上げ、私も薬を飲んで注射をしてもらう以外に何も出来ず。

9月になってたまに涼しい風が吹くようになった頃、有休も使い果たし、

仕方なく復帰するうちに治っていった。

 

36歳でめまいを思い出したかのように、37歳、38歳と毎年どこかで

良性発作性頭位めまい症を起こすようになった。

年に1回か、多くて2回、毎回なってしまってから苦しむのが嫌になって、

自分でいろいろと調べて、どうにか耳石が動きにくい身体にしたいと努力した。

 

その甲斐あって?44歳の時には何と一晩で治した。

45歳のときは何と1度も起こらなかった。

克服できたと思っていた。

 

 

 

 

46歳のプレゼント?

 火曜日、46歳の誕生日だった。

いつも通り仕事に行って帰ってきて、寝た。

水曜日、起き上がったらそのまま倒れた。

頭が激しくグラグラしていることに気付いた。

 

なにこれ?やばい、これはめまいだ、しかも激しい。

 

以前から「良性発作性頭位めまい症」になったことは何度もある。

最近出てなかったし、克服したと思ってたのに、また?!

 

でもまあ出てしまったものは仕方ない。

とりあえず仕事は休んで様子を見よう。

 

このときは、

その後仕事に行けなくなることも、

仕事自体出来なくなることも、

最低限の生活さえ困難になることも、

全く想像していなかった。

 

めまいになったらこれをする、あれをするという自分で編み出してきた

方法でしばらく時間をかければ治ると思っていたし、治してきたから。